新ブログ「もんく+a : reloaded」へ移行し、建築仲間Team OBASUの活動記録を投稿します。
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(2021年~)
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コンテンツ概要
2009~2013年:建築物と建築についての雑記です。
2007~2009年:大学の課題に関するノートです。
2008/12/31
2008/12/30
2008/12/29
2008/12/28
2008/12/27
2008/12/25
2008/12/24
前川邸で大失敗
2008/12/19
前川國男邸
2008/12/17
思ったより簡単じゃない
建築設計Ⅱ-2のために資料を読んでいるが、予想より簡単にはいかないようだ。
まず、課題では既存建築物(前川邸)を20x25mの敷地の「南に寄せて配置」としているが、元々この建物が南に寄せて建てられるわけが無い。南庭を大前提とした造りなのだから。敷地の南半分を売ってしまったと解釈すべきだろうか。
また元の設計者が前川氏本人ではなく、(もちろん何も判断せず全てお任せと言うことではないが)設計をするにあたって着想を得たものに対して前川氏がどう解釈していたかが文章にも言葉としても残っていない。従って前川氏が手がけた設計の中に同類と思われるものが全く見つからない。つまり、この建物に対する前川氏の意図がどうであったのか、判断し難い。
panoramas:前川國男邸
参考資料
前川國男関係の資料
「生誕100年 前川國男建築展 図録」実行委員会
「前川國男のディテール」前川國男・MID同人 彰国社
「前川國男邸復元工事報告書」江戸東京たてもの園
「建築家 前川國男の仕事」美術出版社
保存・再生・活用関係の資料
「建築の保存デザイン」田原幸男 学芸出版社
「リファイン建築へ」青木茂 建築資料研究者
「歴史ある建物の活かし方」学芸出版社
まず、課題では既存建築物(前川邸)を20x25mの敷地の「南に寄せて配置」としているが、元々この建物が南に寄せて建てられるわけが無い。南庭を大前提とした造りなのだから。敷地の南半分を売ってしまったと解釈すべきだろうか。
また元の設計者が前川氏本人ではなく、(もちろん何も判断せず全てお任せと言うことではないが)設計をするにあたって着想を得たものに対して前川氏がどう解釈していたかが文章にも言葉としても残っていない。従って前川氏が手がけた設計の中に同類と思われるものが全く見つからない。つまり、この建物に対する前川氏の意図がどうであったのか、判断し難い。
panoramas:前川國男邸
参考資料
前川國男関係の資料
「生誕100年 前川國男建築展 図録」実行委員会
「前川國男のディテール」前川國男・MID同人 彰国社
「前川國男邸復元工事報告書」江戸東京たてもの園
「建築家 前川國男の仕事」美術出版社
保存・再生・活用関係の資料
「建築の保存デザイン」田原幸男 学芸出版社
「リファイン建築へ」青木茂 建築資料研究者
「歴史ある建物の活かし方」学芸出版社
2008/12/16
建築設計Ⅱ-2をやろう
建築設計Ⅱ-2をやろうと資料集めをしていたが、さっき課題を良く読み返すと変なことに気付く。
敷地が南北20mx東西25mになっているのに、その下に北を上にすると縦長とも書かれている。これは横長ではないのか?
誰か質問した方がいたら教えてください。
追加
上の事は勘違いであると判明。
南北の距離が20mと言うのではなくて、北と南の境界線の長さが各20mと言う意味で書かれているのだった。だから縦長で合っているわけだ。
これを疑問に思う人は他にもいる?
敷地が南北20mx東西25mになっているのに、その下に北を上にすると縦長とも書かれている。これは横長ではないのか?
誰か質問した方がいたら教えてください。
追加
上の事は勘違いであると判明。
南北の距離が20mと言うのではなくて、北と南の境界線の長さが各20mと言う意味で書かれているのだった。だから縦長で合っているわけだ。
これを疑問に思う人は他にもいる?
2008/12/15
卒業申請書を提出
卒研の面接審査が通ったらしいのを確認したので卒業申請書を郵送した。
卒業式には一応「出席」としておいた。どうなるかわからないにしても、出席の可能性を消さないと言うだけ。それに岡崎でまた豆味噌を味わいたいとも思う。
ただし、まだ建築設計Ⅱ-2が1つ残っているのだけれど。
卒業式には一応「出席」としておいた。どうなるかわからないにしても、出席の可能性を消さないと言うだけ。それに岡崎でまた豆味噌を味わいたいとも思う。
ただし、まだ建築設計Ⅱ-2が1つ残っているのだけれど。
2008/12/14
卒研発表会終了
卒研発表会の2日目、お昼に近い午前にプレゼンをした。
プレゼンの内容は昨日にやった人のを見て、それに対する先生の意見を聞いて急遽変更。せっかく渡してあってプロジェクタ用資料をボツにして今朝作り直した紙だけを使用した。だから最初の部分が少し長くなり最後までは言い終わらないだろうと予想していたが、その通りになった。まあ、それはそれでOK。見ていただきたいポイントだけが最初に強調できたから。そして幸運にも講評での先生からの質問でもう一つのポイントも説明できてしまった。その上、今朝の資料にちょっと書き込んで見せただけで言葉では言わなかった部分にもちゃんと気付いてくれる先生もいた。何てラッキーなんだ。
その後、やはり先生たちの間で評価は分かれたと聞いた。(しかしプレゼンで協力に推してくれる先生もいらして、これは評価どうのと言う以前にたいへん有り難いことだ。)
だが、作品が良いか悪いかなどは最初からどうでも良いことで、本当にすべきことはプロの建築家たちの議論の対象になる事だ。
これまでやってきた事は全部そのためだったと思う。
「共通言語」を用い、開かれた方向へ向かって、「違う意見」を言う。
ただそれだけ。
もし作品が「良い」評価を受けるなら、彼らと意見や視点の相違はほとんど無いと言うわけで、自分がわざわざそんな物を作る必要なんて無い。それは練習の時にやる事。それに、自分よりもっと上手くやる人は世の中にたくさんいるだろうから。
パネルと模型の写真が提出直前に出来上がったのでここに載せなかったので、明日にでもまた撮影して載せようと思っている。
追加
パネル写真をアップ。
パネルはA1で作成したものを印刷した後、カッターで切れ目を入れたところに新聞紙を挟んで糊付けした。
使用したのはInkscape。フリーで使わせてもらえるソフトなのに優秀だし、使い方はとても簡単で本当にありがたい。これを作ってくれている世界中の人たちに感謝。
タイトルフォントはfub工房さんの切絵字を使用させていただいた。ありがとうございます。
fub工房|フォント 切絵字
また、プレゼン資料にも全面的にこのフォントを使用。
パネルのフォントの大きさは25ポイントと32ポイント。(構造説明図を除く)これ以上小さいと誰も読まないだろう。
2008/12/13
明日は発表会
12月13~14日は予定通り、卒研の発表会。
成果物はプリントしたものに手を加えているので、いつものパソコン上のファイルではなくなったのでここにはアップしない。後日写真を撮ったらするつもり。
成果物はプリントしたものに手を加えているので、いつものパソコン上のファイルではなくなったのでここにはアップしない。後日写真を撮ったらするつもり。
2008/12/11
2008/12/10
2008/12/09
2008/12/08
部分模型
2008/12/07
2008/12/06
2008/12/05
プリント試験
パネルのプリント試験をしてみた。
ベクター画像では問題ない事を確認したが、ラスター画像にしなければならない場合も考えてそちらもテスト。
フォーマットはpngでWindows付属のペイントからの印刷。(WindowsのプリントウィザードからだとA1ではファイルサイズが大きすぎて印刷不可能。)プリンタはHPで600dpiの性能らしい。
結果としては90dpiではニジミが目立つが300dpiだとベクター画像と区別がつかない。(※pngに変換する前の元データはベクターデータ。)
文字サイズは28ポイントで高さ6mm、32ポイントで8mmほど。
去年の卒業制作パネルでも文字が小さくて文字数が多いものが多かったのでポイント数はもっと小さかったのだろう。
タイトル文字は小さ過ぎるかと思ったがA1にして見ると意外とそうでもなかった。いろいろやてみる以外にないらしい。
ところで、このパネルでは模型とイメージが合わないとの意見をいただいたのでボツにしてやり直すことにした。パーツは使うかも知れないが。
2008/12/02
2008/12/01
卒研のテーマ確認
卒研の進捗が遅いので先生から宿題で「何を研究・何を設計したかを、3つ簡潔に上げよ」(ゼミブログにコメントする)とのこと。これは12月13日に提出するパネルに用いる内容だ。
こんなふうに書いてみた。
都市の隠れた秩序と自由、そして未来へ
(JR川崎駅東口におけるケーススタディ)
1.”中間領域”への疑問
2.変異を起こす空間造り
3.Artificial Nature (人の創る自然)
中間報告では「都市の隠れた秩序と自由」で終わりにしていたが、それだけでは単に建築を用いた"表現"のみになるような印象があるので、未来への提言を印象付けようと"そして未来へ"を加えた。実際、パネルの中でこれを作ることによって未来はどうなると予測できるのかを明記したい。
1."中間領域"への疑問について
もともと、このテーマを始めたのは街と建築物のあいまいな構成に興味があったことからだ。建築と言う物はその土地の機能を限定するために造るもので、それはそれで目的を達成するのであるが逆に人間の行動までも規定することになる。美術館では鑑賞し、図書館では本を読んだり勉強し、ショッピングセンターではショッピングをし、オフィスでは仕事をすると言ったように。
ただ、そうなると目的を持ってその建物に入る以外の事は何も無く面白くも何ともないので、建築家たちは通常設計する建築物に中間領域を設ける。中間領域は建築物本来の機能を持った部分と街との中間にあたる部分で建築物への導入部分であり建築物へ入り易くするものでもあると思われるが、この機能の確定しない部分で何か予期せぬ事が起こることを期待して造られるものである。(詳しくは巨匠たちの書いたものを読む方が良いのでここまで。)
疑問なのは、その予期せぬ何かが本当に起こせるのかどうかと言うことであって、その事は先日書いたのでこれも省略。
調査の結果、建築物に付いている中間領域ではほとんど何も起きないだろうと言う結論に達し、その理由はこれも以前に書いたが、建築物にある中間領域はあくまで管理されたものであって....そう言う場所では人間は行儀良く想定された振る舞いをするだけと言うこと。
ではどんな空間なら変な事をする人間が現れるかと言うと、原っぱのようなところじゃないかと予想した。(以下省略)
2.変異を起こす空間造りについて
これがデザインになるもの。
3.Artifical Nature (人の創る自然)について
デザインの要素を示す言葉としてこれを用いてみた。
人は街を人工物で埋めようとするがなぜか植物も植える。それが心地良いと感じるからだ。木や花の色や形は人間の意図とは無関係な造形を作り出す。上空にある雲などもそうだ。人間は何もかも意のままに制御して思い通りにしようとするようだが、実はそうでない勝手に生きている植物や動物が好きなのだろうと思う。
良く見れば街についてもそうなのではないだろうか。例えば、鉄道のガード下の赤提灯街やこの川崎のような混沌とした街は秩序無くできてしまったようなものであるが、人はそこに集まる。街には木が枝を伸ばすのに似て見た目にはわからない法則に支配されて育つものではないだろうか。それを作り出しているのは人間であると言うのに。
再開発と言う手法はそれとは全く反対に単一の秩序をもって行われる。たしかにキレイで便利で良いのであるがそこには何か欠けるものがある。それがArtifical Natureなのだろう。
.....
Artifical Natureは「人工の...」ではなく、「人の創る...」の方が良いように思う。
人と言う生き物の性質によって形作られる、のような意味を持たせたいから。
(だいたいこんなストーリーになるだろう。)
追加
もっと分かり易くとのコメントをいただいたので修正してみた。
都市の隠れた秩序と自由、そして未来へ
(JR川崎駅東口におけるケーススタディ)
1.人と人との間に変化を起こす空間の研究
2.自然発生の原理による新しい建築の方法
3.イベント広場を中心とした市民のための自由な空間の提案
さらに修正
都市の隠れた秩序と自由、そして未来へ
(JR川崎駅東口におけるケーススタディ)
1.人と人との間に変化を起こす空間の研究
2.混沌とした街の構造をそのまま用いた新しい建築の方法
3.イベント広場を中心とした市民のための自由な空間の提案
(※イベント広場は保留)
こんなふうに書いてみた。
都市の隠れた秩序と自由、そして未来へ
(JR川崎駅東口におけるケーススタディ)
1.”中間領域”への疑問
2.変異を起こす空間造り
3.Artificial Nature (人の創る自然)
中間報告では「都市の隠れた秩序と自由」で終わりにしていたが、それだけでは単に建築を用いた"表現"のみになるような印象があるので、未来への提言を印象付けようと"そして未来へ"を加えた。実際、パネルの中でこれを作ることによって未来はどうなると予測できるのかを明記したい。
1."中間領域"への疑問について
もともと、このテーマを始めたのは街と建築物のあいまいな構成に興味があったことからだ。建築と言う物はその土地の機能を限定するために造るもので、それはそれで目的を達成するのであるが逆に人間の行動までも規定することになる。美術館では鑑賞し、図書館では本を読んだり勉強し、ショッピングセンターではショッピングをし、オフィスでは仕事をすると言ったように。
ただ、そうなると目的を持ってその建物に入る以外の事は何も無く面白くも何ともないので、建築家たちは通常設計する建築物に中間領域を設ける。中間領域は建築物本来の機能を持った部分と街との中間にあたる部分で建築物への導入部分であり建築物へ入り易くするものでもあると思われるが、この機能の確定しない部分で何か予期せぬ事が起こることを期待して造られるものである。(詳しくは巨匠たちの書いたものを読む方が良いのでここまで。)
疑問なのは、その予期せぬ何かが本当に起こせるのかどうかと言うことであって、その事は先日書いたのでこれも省略。
調査の結果、建築物に付いている中間領域ではほとんど何も起きないだろうと言う結論に達し、その理由はこれも以前に書いたが、建築物にある中間領域はあくまで管理されたものであって....そう言う場所では人間は行儀良く想定された振る舞いをするだけと言うこと。
ではどんな空間なら変な事をする人間が現れるかと言うと、原っぱのようなところじゃないかと予想した。(以下省略)
2.変異を起こす空間造りについて
これがデザインになるもの。
3.Artifical Nature (人の創る自然)について
デザインの要素を示す言葉としてこれを用いてみた。
人は街を人工物で埋めようとするがなぜか植物も植える。それが心地良いと感じるからだ。木や花の色や形は人間の意図とは無関係な造形を作り出す。上空にある雲などもそうだ。人間は何もかも意のままに制御して思い通りにしようとするようだが、実はそうでない勝手に生きている植物や動物が好きなのだろうと思う。
良く見れば街についてもそうなのではないだろうか。例えば、鉄道のガード下の赤提灯街やこの川崎のような混沌とした街は秩序無くできてしまったようなものであるが、人はそこに集まる。街には木が枝を伸ばすのに似て見た目にはわからない法則に支配されて育つものではないだろうか。それを作り出しているのは人間であると言うのに。
再開発と言う手法はそれとは全く反対に単一の秩序をもって行われる。たしかにキレイで便利で良いのであるがそこには何か欠けるものがある。それがArtifical Natureなのだろう。
.....
Artifical Natureは「人工の...」ではなく、「人の創る...」の方が良いように思う。
人と言う生き物の性質によって形作られる、のような意味を持たせたいから。
(だいたいこんなストーリーになるだろう。)
追加
もっと分かり易くとのコメントをいただいたので修正してみた。
都市の隠れた秩序と自由、そして未来へ
(JR川崎駅東口におけるケーススタディ)
1.人と人との間に変化を起こす空間の研究
2.自然発生の原理による新しい建築の方法
3.イベント広場を中心とした市民のための自由な空間の提案
さらに修正
都市の隠れた秩序と自由、そして未来へ
(JR川崎駅東口におけるケーススタディ)
1.人と人との間に変化を起こす空間の研究
2.混沌とした街の構造をそのまま用いた新しい建築の方法
3.イベント広場を中心とした市民のための自由な空間の提案
(※イベント広場は保留)
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