2008/02/26

Borobudurの特殊性


まず、Jawa行きで感じた幾つかの事柄について簡単に記しておく。

今回のJawaでの最大の目的はBorobudur(ボロブドゥール)である。
この遺跡とともに参考資料(東洋建築史図集)にはPrambanan(プランバナン)地区のロロ・ジョングランと言う同じく中部Jawaのヒンドゥー遺跡も掲載されており、ほぼ同時期の8世紀半ばから9世紀前半に造られている。BorobudurとPrambananは直線にして約35kmしか離れていない。つまり仏教とヒンドゥー教が共存していたと考えられるのだ。

限られた資料に掲載された遺跡を別々のものとして眺めていたらそれはそれで済んでしまうのであるが、(もちろん地区別に書いてあるので隣り合って掲載されている)2つ課題のために両方一緒に済ませることのできる「地域」を検索していたためにたまたま気付いたわけである。もちろん、自分の自由に動ける地域と言う限られた条件で見ているのであるからどうしても気付かざるを得ない。


実際にBorobudurとPrambanan地区にあるロロ・ジョングランを見ると確かに関連が深かった事はすぐにわかる。その石に刻まれた目立つ部分の意匠や工法において違いが無いからだ。門や窓の上部には鬼面カーラ、その下にはマカラが刻まれていて、何の予備知識が無ければ両者に信教の違いがあるとは思わないかもしれない。

そしてPrambanan地区にはBorobudurと同じ王朝が造った多くの仏教遺跡が存在し、数十メートル離れてロロ・ジョングランを取り囲んでいた。資料によれば両者を造った王朝には婚姻関係すらあったそうであるから、信教が違うとは言え似ているのは理解できない事ではない。



ここではその詳細は資料に任せて書かないが、実際に見て思うのはBorobudurだけは他の遺跡とは随分違うと言うことだ。

1.Borobudurには囲いが無い。同じ王朝によって造られた仏教遺跡にもロロ・ジョングランにも多分全てに低い囲い塀が存在するが、Borobudurには無い。

2.Borobudurの壁画は教示的である。遺跡の回廊に沿って全長5kmほどにも及ぶ壁画が刻まれていて、これらはインド伝来の仏教文献によるものであるが、単なるお話やお経のようなものではなく、見に来た者に仏の教えと良き生き方を分かり易く伝えようとする寓話まで含まれるのである。

こう言う建築物が単なる王家の墓所、それも葬られた者の名も刻まれない墓として建てられた物なのであろうか。巨大な国土を治めた王が建てた巨大な建物、と言うと何かしら権威主義的な感覚を持って解釈してしまいがちであるが、Borobudurをそう受け取ってしまって良いものなのだろうか。

建築時の碑文などが見つかっていないので誰にも断言できるものではないが、これはどう見ても特殊な建築と思えるのである。そう考えると当時の王朝は現在の我々の思う国や権力の概念から離れたものであった可能性も無いでは無いし、人の生き方と言うものさへ想像とは全く違っているのかも知れない。

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