2008/02/26

ジョグジャカルタの街と伝統家屋



もう一つの課題は都市や村の発展についての調査である。
前記事に示した通り遺跡(歴史的建築物)の調査とこの調査をできるだけ同じ地域でと考えた結果、中部Jawaのジョグジャカルタ(インドネシア)を選んだ。

上の写真は最初に発見し、見せていただいた家屋である。この時点でジョグジャカルタ(以後、ジョグジャ)の伝統建築様式についての予備知識は全くのゼロであった。

これを見つけたのは本当に偶然で、食べ物屋を探して一人歩いている時に視界に入ってきた。この様式の建物は街並みの中にはそう多くあるものではないし、街場にあってこれだけ余裕ある敷地に建っていると言うのも現在では珍しい。但しかなり痛んでしまっている。


簡単に紹介しておくと、この中折れ屋根形式の建物をJOGLO(ジョグロ)と言う。

ジョグロには柱の本数と大きさによって7種類あるとされるが、これは中央の大黒柱にあたる柱(ソコ・グル)が4本のものだ。4本のソコ・グルは地面に据えられた基礎石に刺してあり、上部は三重の組梁で接続されている。その為、ソコ・グルがほとんどの荷重を支えていて周囲の庇を支える細い柱や壁はオマケのようなものである。壁に至っては無くても成立する。なぜならジョグロを主に使用する建屋は儀式や接客に使う事が多く、つまり他に寝室や居間を造ればここで日常生活をしなくても良いからである。

ジョグロはジョグロだけでは成立しない。その後方に生活に必要な幾つかの建物を順次付け足していく必要があるからだ。付け足していくと言うのは別棟を屋根の庇(ひさし)を接続する形で建てたり、全く離して建てたりするのである。つまりジョグロだけでは伝統家屋は成立せず、敷地計画を含めて伝統家屋の様式となるのである。



この家を見た後にジョグジャの旧市街を歩いて見ると大変に興味深い事実がわかった。

ジョグジャの王宮を中心とする旧市街はまさにこの伝統家屋と相似形の拡大版なのである。そもそもジョグジャの旧市街は市街、つまり都市であると同時にスルタン(王)の家そのものだったのである。

王宮は北向きでメインストリートであるマリオボロ通りに面しており、そこから南に儀式や客人を迎えるジョグロ、奥に行くに従ってプライベート空間となり、最も奥(南)には使用人たる軍隊の集合所とそして東西南の3面は王家のために何らかの役目を担う多くの市民が居住している。これらは全て城壁で囲まれている。


さらに興味深いのは現在のジョグロを採用しない家屋であっても、ホテル(西洋式でない)にあってもこの形式の縮小版相似形の構成を採っていることだ。例えば日本のホテルの部屋は通路側は鉄の扉から入ると一番奥に開放された窓が存在し、扉の近くにバスルームがある。日のあたる方を前面としている。ジョグジャのホテルは通路側の扉の横に窓があり、通路を通る他人と目が合うしその通路にテーブルと椅子を設置して寛ぐようになっている。またバスルームは必ず一番奥に設置されていて側面壁や奥面に一つも窓が無いのは平気である。これは一般家庭の家屋でもどんな建物でも同じである。

それを前提にすれば、資料によっては王宮が聖なる山「ムラピ山に向いている」と書いているものがあるが、これは明らかに間違いである。実際に王宮から正面を眺めてもムラピ山は少し東に外れていると言う事実もある(そしてジョグジャにあるもう一つの王宮、パクアラマン宮は明らかに南向きでそこにある通りに面して建てられている)が、ジョグジャの家屋は「常に通り(ストリートや通路)を正面として作られる」のである。

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