新ブログ「もんく+a : reloaded」へ移行し、建築仲間Team OBASUの活動記録を投稿します。
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(2021年~)
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コンテンツ概要
2009~2013年:建築物と建築についての雑記です。
2007~2009年:大学の課題に関するノートです。
2008/02/26
ジャカルタのコロニアル建築群
帰国前にジャカルタ北部のコタ地区を見て回った。
ジャカルタにはそれほど興味があったわけでは無いが、空港出発が朝6時半であるためにどうしても1泊は必要だったのだ。通常ならば物価の高いとされるジャカルタであるから安い宿が多い地区を選ぶべきだと思われるが、オランダ時代のバタビアの雰囲気がどれだけ残っているか確かめてみようとコタ地区を選んだ。
ガイドブックにはほとんど情報が無かったのであまり期待はしていなかった。それ故、観光客らしき人影も全く無し。しかし結果的には老朽化しメンテナンスは充分でないが中央運河の両岸にはバタビアの雰囲気を残すコロニアル建築物が多くあって楽しい散歩となった。中には近代建築にもありそうな意欲的意匠のものもあった。
今回はこの地域についてのレポートは書くつもりは無いが、もし(万一? きっとそんなあ人はいないだろうが)誰か興味あって見に行くのであればお勧めしたい地域である。ちなみに観光地でないので誰も声をかけて来ないからインドネシアにしては楽に歩ける場所と言える。それに近くに中華街があって食べる物も豊富だし、良くて安いホテル(AC、ホットシャワー付きで2000円以下)も多くあるようだ。また空港からも遠くない。
ジョグジャカルタの街の別の構造
前記事で王宮を中心としたジョグジャ旧市街について述べたが、それとは別の構造も存在することがわかった。
ジョグジャはオランダの東インド会社による貿易とともに発展した比較的新しい街であるため、その事実と切り離して現地の伝統様式だけを論じるのは片手落ちなのである。
王宮中心の旧市街とは別に、マリオボロ通りには全く別の様式の建築物が多く存在する。それは「ショップハウス」である。ショップハウスがあると言う事は、ここに中国人商人が居住していると言うことになる。(写真はマリオボロのショップハウス)
現在はそれほど目立たなくなってしまっているが中国人の経営している漢薬店も存在しているし周辺には中国系住民も多いように見受けられた。さらにその周辺部には労働者のための長屋形式(LIMASAN-リマサン)が存在している。
またオランダの影響を受けたコロニアル風意匠も使われているのも見られる事で、ジョグジャの歴史方向の奥行きを感じられるのである。
ジョグジャカルタの街と伝統家屋
もう一つの課題は都市や村の発展についての調査である。
前記事に示した通り遺跡(歴史的建築物)の調査とこの調査をできるだけ同じ地域でと考えた結果、中部Jawaのジョグジャカルタ(インドネシア)を選んだ。
上の写真は最初に発見し、見せていただいた家屋である。この時点でジョグジャカルタ(以後、ジョグジャ)の伝統建築様式についての予備知識は全くのゼロであった。
これを見つけたのは本当に偶然で、食べ物屋を探して一人歩いている時に視界に入ってきた。この様式の建物は街並みの中にはそう多くあるものではないし、街場にあってこれだけ余裕ある敷地に建っていると言うのも現在では珍しい。但しかなり痛んでしまっている。
簡単に紹介しておくと、この中折れ屋根形式の建物をJOGLO(ジョグロ)と言う。
ジョグロには柱の本数と大きさによって7種類あるとされるが、これは中央の大黒柱にあたる柱(ソコ・グル)が4本のものだ。4本のソコ・グルは地面に据えられた基礎石に刺してあり、上部は三重の組梁で接続されている。その為、ソコ・グルがほとんどの荷重を支えていて周囲の庇を支える細い柱や壁はオマケのようなものである。壁に至っては無くても成立する。なぜならジョグロを主に使用する建屋は儀式や接客に使う事が多く、つまり他に寝室や居間を造ればここで日常生活をしなくても良いからである。
ジョグロはジョグロだけでは成立しない。その後方に生活に必要な幾つかの建物を順次付け足していく必要があるからだ。付け足していくと言うのは別棟を屋根の庇(ひさし)を接続する形で建てたり、全く離して建てたりするのである。つまりジョグロだけでは伝統家屋は成立せず、敷地計画を含めて伝統家屋の様式となるのである。
この家を見た後にジョグジャの旧市街を歩いて見ると大変に興味深い事実がわかった。
ジョグジャの王宮を中心とする旧市街はまさにこの伝統家屋と相似形の拡大版なのである。そもそもジョグジャの旧市街は市街、つまり都市であると同時にスルタン(王)の家そのものだったのである。
王宮は北向きでメインストリートであるマリオボロ通りに面しており、そこから南に儀式や客人を迎えるジョグロ、奥に行くに従ってプライベート空間となり、最も奥(南)には使用人たる軍隊の集合所とそして東西南の3面は王家のために何らかの役目を担う多くの市民が居住している。これらは全て城壁で囲まれている。
さらに興味深いのは現在のジョグロを採用しない家屋であっても、ホテル(西洋式でない)にあってもこの形式の縮小版相似形の構成を採っていることだ。例えば日本のホテルの部屋は通路側は鉄の扉から入ると一番奥に開放された窓が存在し、扉の近くにバスルームがある。日のあたる方を前面としている。ジョグジャのホテルは通路側の扉の横に窓があり、通路を通る他人と目が合うしその通路にテーブルと椅子を設置して寛ぐようになっている。またバスルームは必ず一番奥に設置されていて側面壁や奥面に一つも窓が無いのは平気である。これは一般家庭の家屋でもどんな建物でも同じである。
それを前提にすれば、資料によっては王宮が聖なる山「ムラピ山に向いている」と書いているものがあるが、これは明らかに間違いである。実際に王宮から正面を眺めてもムラピ山は少し東に外れていると言う事実もある(そしてジョグジャにあるもう一つの王宮、パクアラマン宮は明らかに南向きでそこにある通りに面して建てられている)が、ジョグジャの家屋は「常に通り(ストリートや通路)を正面として作られる」のである。
Borobudurの特殊性
まず、Jawa行きで感じた幾つかの事柄について簡単に記しておく。
今回のJawaでの最大の目的はBorobudur(ボロブドゥール)である。
この遺跡とともに参考資料(東洋建築史図集)にはPrambanan(プランバナン)地区のロロ・ジョングランと言う同じく中部Jawaのヒンドゥー遺跡も掲載されており、ほぼ同時期の8世紀半ばから9世紀前半に造られている。BorobudurとPrambananは直線にして約35kmしか離れていない。つまり仏教とヒンドゥー教が共存していたと考えられるのだ。
限られた資料に掲載された遺跡を別々のものとして眺めていたらそれはそれで済んでしまうのであるが、(もちろん地区別に書いてあるので隣り合って掲載されている)2つ課題のために両方一緒に済ませることのできる「地域」を検索していたためにたまたま気付いたわけである。もちろん、自分の自由に動ける地域と言う限られた条件で見ているのであるからどうしても気付かざるを得ない。
実際にBorobudurとPrambanan地区にあるロロ・ジョングランを見ると確かに関連が深かった事はすぐにわかる。その石に刻まれた目立つ部分の意匠や工法において違いが無いからだ。門や窓の上部には鬼面カーラ、その下にはマカラが刻まれていて、何の予備知識が無ければ両者に信教の違いがあるとは思わないかもしれない。
そしてPrambanan地区にはBorobudurと同じ王朝が造った多くの仏教遺跡が存在し、数十メートル離れてロロ・ジョングランを取り囲んでいた。資料によれば両者を造った王朝には婚姻関係すらあったそうであるから、信教が違うとは言え似ているのは理解できない事ではない。
ここではその詳細は資料に任せて書かないが、実際に見て思うのはBorobudurだけは他の遺跡とは随分違うと言うことだ。
1.Borobudurには囲いが無い。同じ王朝によって造られた仏教遺跡にもロロ・ジョングランにも多分全てに低い囲い塀が存在するが、Borobudurには無い。
2.Borobudurの壁画は教示的である。遺跡の回廊に沿って全長5kmほどにも及ぶ壁画が刻まれていて、これらはインド伝来の仏教文献によるものであるが、単なるお話やお経のようなものではなく、見に来た者に仏の教えと良き生き方を分かり易く伝えようとする寓話まで含まれるのである。
こう言う建築物が単なる王家の墓所、それも葬られた者の名も刻まれない墓として建てられた物なのであろうか。巨大な国土を治めた王が建てた巨大な建物、と言うと何かしら権威主義的な感覚を持って解釈してしまいがちであるが、Borobudurをそう受け取ってしまって良いものなのだろうか。
建築時の碑文などが見つかっていないので誰にも断言できるものではないが、これはどう見ても特殊な建築と思えるのである。そう考えると当時の王朝は現在の我々の思う国や権力の概念から離れたものであった可能性も無いでは無いし、人の生き方と言うものさへ想像とは全く違っているのかも知れない。
2008/02/23
帰国
昨日(2月22日)夜にジャワから帰国した。
今回のジョグジャ行きはとても有意義だった。
雨季であるにも関わらずほとんど雨に行く手を阻まれる事がなかった。同じジャワ島の他の都市では洪水に近い状態がニュースで報じられていたにも関わらず、歩いている時間中に靴の中まで滲みてくるほどの雨に遭わなかった。
それに加えて多くの出会いが有り、日本ではあまり聞くことも読む事もできないような情報に接することができた。事前には調べられなかったし予測もできなかったような情報に。本当に驚きだ。
詳細は追って書いていくことにする。
最後に、事前にいろいろと情報を集めておいてくれた愛妻の友人であるY子さんに感謝する。
今回のジョグジャ行きはとても有意義だった。
雨季であるにも関わらずほとんど雨に行く手を阻まれる事がなかった。同じジャワ島の他の都市では洪水に近い状態がニュースで報じられていたにも関わらず、歩いている時間中に靴の中まで滲みてくるほどの雨に遭わなかった。
それに加えて多くの出会いが有り、日本ではあまり聞くことも読む事もできないような情報に接することができた。事前には調べられなかったし予測もできなかったような情報に。本当に驚きだ。
詳細は追って書いていくことにする。
最後に、事前にいろいろと情報を集めておいてくれた愛妻の友人であるY子さんに感謝する。
2008/02/01
ジャワへ出発
今日、これからジャワへ出発します。
更新が滞るかもしれません。
帰国は2月22日です。
ではまた。
本日、来年度の履修登録票を郵送。
<選択科目>
建築の世界(スクーリング)
景観デザイン論(レポート/試験)
CADⅢ(スクーリング)
建築設計Ⅱ-2(課題)
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帰国は2月22日です。
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