新ブログ「もんく+a : reloaded」へ移行し、建築仲間Team OBASUの活動記録を投稿します。
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(2021年~)
アイデア等全てのコンテンツの引用やコピーはご自由に。
コンテンツ概要
2009~2013年:建築物と建築についての雑記です。
2007~2009年:大学の課題に関するノートです。
2010/02/17
2010/02/06
統一は課題なのか
都市や街の美と言う話になると必ず出てくるのが「統一感」と言う言葉だ。
ハードロック・カフェに入ると、そこには独特の濃さがある。ドア1つ隔てただけで外界と隔絶された独特の趣味がその正体だ。そしてそれは統一を生み出す。その欠点の無さを人は楽しみ、統一は美の1つの基準となる。それは多分あの歴史の街についても同じことが言える。歴史ある街の再生と言うと、だいたい想像の範囲を越えない統一された意匠の街を書き割り的に作り出してしまうのはそんな言う理由によるだろう。「統一」、それは何と甘美で魅力的な響きを持つ言葉なのだろう。
さて、統一、それは都市や街やそして建築にとっての課題たり得るのであろうか。
マレーシアには3つの民族が住んでいる。だからマレーシアと言う国は1つでも、マレーシア人はいない。
その代わりにマレー人、インド人、中国人がそこにいる。対して日本にはほぼ日本人しかいない。国ができて何十年も経っているがマレーシア人にはならなかった。彼らの文化は今でも全く別々だし共通に使う言葉はあっても母語はそれぞれのままだ。最近は「1 マレーシア」と言う掛け声によって多民族が1つのマレーシアと言うアイデンティティを持て国造りをしていこうと言う動きがある。
その意味するところは何なのだろうかと思うが、全員がマレーシア人となり混合される事だとは誰も考えないだろう事だけは確かであろう。そこには日本人が考えるタイプの「統一」はきっと無い。
「1 マレーシア」が厳密にどう言う意味で言われるかはここでは置いておくが、統一は実際に誰にとっての課題なのか、と言う疑問の1つのヒントではあると思う。そこには誰が何をしても可とされる自由、それを互いに認め合う事の方が本来は必要なのではないかと考えさえせられるものが有りはしないだろうか。
統一と言う甘いドロップをそろそろ口から吐き出してしまうべきなのではないかと思う。
(もちろんそんなのはとうに分かっている人も多い。)
ハードロック・カフェに入ると、そこには独特の濃さがある。ドア1つ隔てただけで外界と隔絶された独特の趣味がその正体だ。そしてそれは統一を生み出す。その欠点の無さを人は楽しみ、統一は美の1つの基準となる。それは多分あの歴史の街についても同じことが言える。歴史ある街の再生と言うと、だいたい想像の範囲を越えない統一された意匠の街を書き割り的に作り出してしまうのはそんな言う理由によるだろう。「統一」、それは何と甘美で魅力的な響きを持つ言葉なのだろう。
さて、統一、それは都市や街やそして建築にとっての課題たり得るのであろうか。
マレーシアには3つの民族が住んでいる。だからマレーシアと言う国は1つでも、マレーシア人はいない。
その代わりにマレー人、インド人、中国人がそこにいる。対して日本にはほぼ日本人しかいない。国ができて何十年も経っているがマレーシア人にはならなかった。彼らの文化は今でも全く別々だし共通に使う言葉はあっても母語はそれぞれのままだ。最近は「1 マレーシア」と言う掛け声によって多民族が1つのマレーシアと言うアイデンティティを持て国造りをしていこうと言う動きがある。
その意味するところは何なのだろうかと思うが、全員がマレーシア人となり混合される事だとは誰も考えないだろう事だけは確かであろう。そこには日本人が考えるタイプの「統一」はきっと無い。
「1 マレーシア」が厳密にどう言う意味で言われるかはここでは置いておくが、統一は実際に誰にとっての課題なのか、と言う疑問の1つのヒントではあると思う。そこには誰が何をしても可とされる自由、それを互いに認め合う事の方が本来は必要なのではないかと考えさえせられるものが有りはしないだろうか。
統一と言う甘いドロップをそろそろ口から吐き出してしまうべきなのではないかと思う。
(もちろんそんなのはとうに分かっている人も多い。)
2010/01/10
中国様式モスク

ニュースによれば、マレーシアのスランゴール州3箇所に中国様式のモスクが建造されることになった。デザインは古代中国様式とイスラム様式をミックスしたものとなっている。建設地はペラ、マラッカ、ラワン。モスクは一定の時刻にアザーンをスピーカーで周辺地域に流すが、これもマレー語と中国語で行われる。新聞ではこの建設の目的を華人社会(中国系住民)にイスラムの教えを理解して欲しいこと、イスラムが他の宗教に対しても寛容であることを示したいためと書かれているが、数少ない中華系ムスリムのコミュニティ等がこれに関与しているのかどうかは書かれていない。
モスクと言えば建築史の教科書にいくらか出てくるがそれらの多くはタマネギ型のドームを持つものだ。しかし実際にはイスラム様式と言うのは定義があいまいで、中国にあるモスクのほとんどは仏教寺院と区別が付きにくい。また東南アジア、インドネシアなどにあるモスクも三角屋根のものが多く一見してそれがモスクかどうかは分かりにくい。形の無いモスクと言うのもある。例えば日本では空中店舗方式のものもあって単にビルを一部間借りしている部屋である場合だってある。
そう考えるとこの中国風モスク建設と言うのはかなり恣意的で、はっきりした目的の記号として建設されると解釈される。もちろんそれは新聞に書かれている通りだろうが、それはモスクの本来の目的とは多少違うことになるだろう。
逆にもっと根本的な問いとして、モスクとは何かと言う疑問もある。
それに関しては、以前、KLのイスラミック・ミュージアムでドイツのモスク建築を展示していた中の一文が興味深い。
それによれば、ムスリムの祈りはどこで行う事も可とされ、ほとんどの場合それは1人で行われる。特に規定はされていない。中には他宗教のように神を象徴するイコンがあるわけでもなくガランとしていて特に何もない。ではなぜモスクが建設されるのか、これは当のムスリムにとっても基本的な問題なのだそうだ。結論は祈りの象徴であったりコミュニティ形成の場であったりと言う割合一般的に考えられる結論となる。
そのようなわけで、モスクの"様式"と言うのも怪しい。教科書ではモスクと時代の建築様式が結び付けられて書かれていて誤解を招くのだが、それは時代の様式なのかモスクの様式なのかよく考えてみる必要があるだろう。
新生中国様式モスクは2年以内に完成と言うことなので完成後には見に行ってみたい。
2009/12/18
CADの遊び

機械設計ではCADができる=設計ができると言う時代があり、それは近年否定されつつあるけれど建築ではどうなのだろう。こうして写真に撮影するとこれを設計した人がこう言うパースを描いてうっとりしていたのだろうなあと想像できるものになる。しかしながら、ある意味マクロ的、鳥瞰図的な設計であってここを歩いてどれほど良いかと言うと、まあ普通としか言いようが無い。巨大な敷地に巨大な資金で巨大な構造をくっきりと描いてみたまでで、その後は何もなし。長い通路を歩いて疲れるだけ、延々とどこにでもある物を見せられるだけ、フロアの高さが微妙に合っていなくて変なスロープで足元がふらつき、建物を出たとたんに車道かチンケな通路を歩かされる。要は雑なんである。
写真はクアラルンプール中心から少し南西に行った Mid Valley (ミッド・バレー) と言うショッピングモールの内部。
2009/12/15
マンションの一室のような自分
建築物身体論と言うのがある。
建築を1つの身体として捉える考え方であるらしい。
マンションの1室は完全性を備えている。少なくとも完全性を求められる。鉄のドアの内側には全てがある。補給を怠らなければほとんど何も不足はない。そこは自分以外誰も立ち入ることのできない領域である。
この意味でマンションの1室は現代人によく似ている。または、現代人はマンションの1室に似ている、だろうか。
他人は自分の身体や思考に立ち入ることができない。できないと考えられている。現代の成人は完全でなければならないと考えられている。自分でほぼ全ての事ができなければならない。全ての事とは隣人と同じ事ができると言う意味だ。それが完全性の定義である。
完全性を求められる身体は不完全を恥じるし自己の責任を重く感じることになる。全ての負荷を自らの身体に背負ってずっとどこまでも歩かなければならない。そして人生の全ての時間は完全性を求めるための"過程"となる。そこから想像できる未来は果たして"結果"と言う果実を手にした己の姿であろうか。
この姿は全て"完全性"を求める嗜好から来るものだろう。だとすればその完全性とはどう言うものだろう。それは実際のあるべき物なのか、それを信じる事にどんな利点があるのか、強いて言えば幻想ではなかったか。完全性が得られない事に恥じらいを感じなければならないのはどう言うわけなのか。
もしその完全性を諦めてしまったらどうだろう。
少なくとも一生を恥じて生きる必要はないかもしれない。責任を自己の中だけに閉じ込めておく必要はないかもしれない。楽だろうか。ただ、その代わりに手放さなければならないものもあるだろう。そちらの方もまるで想像できない事ではない。自己の内部の不可侵な領域がいくらか、またはかなり多く減ることになる。
完全性を手放すのとそのまま保持しながら精進する事のどちらが良いかは、どちらが快適に生きられるかで判断できると思われるがどうだろう。
建築を1つの身体として捉える考え方であるらしい。
マンションの1室は完全性を備えている。少なくとも完全性を求められる。鉄のドアの内側には全てがある。補給を怠らなければほとんど何も不足はない。そこは自分以外誰も立ち入ることのできない領域である。
この意味でマンションの1室は現代人によく似ている。または、現代人はマンションの1室に似ている、だろうか。
他人は自分の身体や思考に立ち入ることができない。できないと考えられている。現代の成人は完全でなければならないと考えられている。自分でほぼ全ての事ができなければならない。全ての事とは隣人と同じ事ができると言う意味だ。それが完全性の定義である。
完全性を求められる身体は不完全を恥じるし自己の責任を重く感じることになる。全ての負荷を自らの身体に背負ってずっとどこまでも歩かなければならない。そして人生の全ての時間は完全性を求めるための"過程"となる。そこから想像できる未来は果たして"結果"と言う果実を手にした己の姿であろうか。
この姿は全て"完全性"を求める嗜好から来るものだろう。だとすればその完全性とはどう言うものだろう。それは実際のあるべき物なのか、それを信じる事にどんな利点があるのか、強いて言えば幻想ではなかったか。完全性が得られない事に恥じらいを感じなければならないのはどう言うわけなのか。
もしその完全性を諦めてしまったらどうだろう。
少なくとも一生を恥じて生きる必要はないかもしれない。責任を自己の中だけに閉じ込めておく必要はないかもしれない。楽だろうか。ただ、その代わりに手放さなければならないものもあるだろう。そちらの方もまるで想像できない事ではない。自己の内部の不可侵な領域がいくらか、またはかなり多く減ることになる。
完全性を手放すのとそのまま保持しながら精進する事のどちらが良いかは、どちらが快適に生きられるかで判断できると思われるがどうだろう。
2009/11/19
「progeCAD 2009 Smart!」がリリースされた
progeCAD 2009 Smart!がリリースされた。
無料で使えますが商用版と機能は同じで私的な作業に使ってくださいとの事。自然災害関係へのチャリティ活動にも協力しているそうだ。DWG2.5~2009まで読み込みできると書いてある。
progeCAD 2009 Smart!のページ(クリック)
マンキーさんご指摘ありがとう。無料を無用と書き間違えてましたので修正しました。
無料で使えますが商用版と機能は同じで私的な作業に使ってくださいとの事。自然災害関係へのチャリティ活動にも協力しているそうだ。DWG2.5~2009まで読み込みできると書いてある。
progeCAD 2009 Smart!のページ(クリック)
マンキーさんご指摘ありがとう。無料を無用と書き間違えてましたので修正しました。
2009/11/13
日本人は中古住宅には住めません
中古引っ越してた後にすべきことはいろいろある。
マレーシアの団地に引っ越してきた。ベッドもエアコンもテレビもシーリングファンも冷蔵庫も洗濯機もコンロも収納棚も一通り揃っていたので、後はトイレットペーパーや洗剤やシーツや枕やハンガーや食品や食器などの細々とした物だけ買って来れば住める。状況としてはそれで全く間違いはない。
ただ、中古物件と言うものは以前に誰かが住んでいたものであるからタイルの目地は真っ白ではないし、天井裏が多少カビ臭かったり水道の蛇口のメッキが薄くなっていたり水滴の痕もあり壁に鋲の痕やシミがあったり便座の表面は磨いた細かい傷で満たされている。そして何か得体の知れない臭いも残されているものだ。
住み始めた後は徐々にその部屋を使いながら他人の臭いを追い出しつつ自らの臭いでそこを満たしていくことになる。ドアの取っ手には自分の指紋が配水管には自分の皮脂と石鹸の混ざった滓がこびり付くだろう。壁のスイッチ周りは手垢で黒ずみ床にの隅には抜けた髪の毛が溜まる。そうして同じことの繰り返し。誰かの手垢に他人の手垢が重なり住宅は歳を重ねていく。
それは自然だ。
だが、愛妻さんはどうもそれを好まない。キッチン収納の扉を開けた時のちょっとした臭いやトイレの芳香剤と汚物の混ざった臭いほんのちょっとのカビ臭さを嫌う。収納棚にうっすらとあるシミや埃を嫌う。床タイルの目地の取れない黒ずみを嫌う。前に済んでいた誰かの残した全ての証拠を嫌う。人間のいた痕跡の全てを嫌う。残された食器はきれいであっても全て処分して新しい物を買う。キッチンで使うものは量産された新品のプラスチック製品を買う。人間の残した臭いを追い出すために化学薬品を充満させる。棚の中には発泡スチレンの防虫シートとプラスチックの容器で整理する。これは棚板に服が直接触れないためだ。こうした小さな努力によって誰かが触れたはずの部分に自分の身体や身に付ける物が触れなくて済むようにしているようなのだ。
彼女はたぶん一般的な日本の人である。こうした姿を見ていると我々日本人は中古住宅に住むことはできないのだろうと感じられる。いくら耐用年数の長いストックとしての住宅を造っても新しい住宅を選ぶのだろうし、万一中古を選んでもそれは予算の問題かテンポラリな用途として考えているためだけなのかも知れない。(調査に基づいて言っているのではない。)最近テレビでよく紹介される団地やマンションを再生する試みでも構造体以外の部分を全て新品に換えてしまって、つまりは以前に住んでいた他人の臭いも手垢も全て取り除くかそう言ったものに触れなくて済むようにほんのちょっと浮き上がった位置に住まわせる工夫が成されている。
日本人にとって住まいに歴史は不要なのだ。
マレーシアの団地に引っ越してきた。ベッドもエアコンもテレビもシーリングファンも冷蔵庫も洗濯機もコンロも収納棚も一通り揃っていたので、後はトイレットペーパーや洗剤やシーツや枕やハンガーや食品や食器などの細々とした物だけ買って来れば住める。状況としてはそれで全く間違いはない。
ただ、中古物件と言うものは以前に誰かが住んでいたものであるからタイルの目地は真っ白ではないし、天井裏が多少カビ臭かったり水道の蛇口のメッキが薄くなっていたり水滴の痕もあり壁に鋲の痕やシミがあったり便座の表面は磨いた細かい傷で満たされている。そして何か得体の知れない臭いも残されているものだ。
住み始めた後は徐々にその部屋を使いながら他人の臭いを追い出しつつ自らの臭いでそこを満たしていくことになる。ドアの取っ手には自分の指紋が配水管には自分の皮脂と石鹸の混ざった滓がこびり付くだろう。壁のスイッチ周りは手垢で黒ずみ床にの隅には抜けた髪の毛が溜まる。そうして同じことの繰り返し。誰かの手垢に他人の手垢が重なり住宅は歳を重ねていく。
それは自然だ。
だが、愛妻さんはどうもそれを好まない。キッチン収納の扉を開けた時のちょっとした臭いやトイレの芳香剤と汚物の混ざった臭いほんのちょっとのカビ臭さを嫌う。収納棚にうっすらとあるシミや埃を嫌う。床タイルの目地の取れない黒ずみを嫌う。前に済んでいた誰かの残した全ての証拠を嫌う。人間のいた痕跡の全てを嫌う。残された食器はきれいであっても全て処分して新しい物を買う。キッチンで使うものは量産された新品のプラスチック製品を買う。人間の残した臭いを追い出すために化学薬品を充満させる。棚の中には発泡スチレンの防虫シートとプラスチックの容器で整理する。これは棚板に服が直接触れないためだ。こうした小さな努力によって誰かが触れたはずの部分に自分の身体や身に付ける物が触れなくて済むようにしているようなのだ。
彼女はたぶん一般的な日本の人である。こうした姿を見ていると我々日本人は中古住宅に住むことはできないのだろうと感じられる。いくら耐用年数の長いストックとしての住宅を造っても新しい住宅を選ぶのだろうし、万一中古を選んでもそれは予算の問題かテンポラリな用途として考えているためだけなのかも知れない。(調査に基づいて言っているのではない。)最近テレビでよく紹介される団地やマンションを再生する試みでも構造体以外の部分を全て新品に換えてしまって、つまりは以前に住んでいた他人の臭いも手垢も全て取り除くかそう言ったものに触れなくて済むようにほんのちょっと浮き上がった位置に住まわせる工夫が成されている。
日本人にとって住まいに歴史は不要なのだ。
2009/10/17
ひばりが丘団地ストック再生実証試験棟を見学
友人のS氏の手配でひばりが丘団地の実験棟を見学させていただいた。
この実験棟は既存の団地再生に対しての"技術的"検討と言うことで、建築と言うよりは建設の範囲の実験棟のようだった。ただ、改造されたいくつかのタイプの居室はよく出来ていて、試しに少しの間住んでみたいとも思えるようなものだった。しかし、これらに本気で住む人だったら収納が少ないなどと細かいことを言うだろうし、購入を考えるのであれば将来子供が育ったときに部屋数が少ないなどとも言うだろう。プランはどちらかと言えばキッチネット付きホテルかテンポラリー用途のコンドミニアムのようなもので、家を持ちたいと思わず、身の回りの状況が変わったら移動することを厭わない自分のような人間には悪くない部屋だと思う。ただし、家賃が充分に安いのであればだが。
(だが、既にそれ以外の方法をいろいろ知ってしまっている身には光熱費や管理費の心配をしながらこれに10万円以上の家賃を毎月支払って住み続けるのはどうなのかと思えても来る。同じ値段ならどこかのビーチフロントの掃除も光熱費も心配せずに住むホテルに居たいだけ居るのとどちらが良いのかと思ってしまうと言う意味であって、通勤に便利だからここを選んでできれば一生、と言うような感覚ではない。)
技術的検討が主と言うことなので、この実験棟についてデザインがどうのと言うのは間違いだと思われるが、見た目は一見100年前のバウハウスデザインのようだった。すっきりしているが、う~ん....。もう一つはこのモデルハウスが共用廊下が足されている以外どれもその内部にのみ注力しているために、住戸がやはり鉄の扉で個々に閉じられているスタイルに何の変更も加えていない、いや多分検討すらしていないのだ。今の状態で見た目の商品性が上がっても50年後にはやはり孤独死はあるだろうと予測できるし、1F部分の住戸を集会上にコンバージョンしたとしてもそれがどう使われるかは未検討のままである。建築ではなく建設の実験なのであるから現時点では仕方ないのだろうと思う。もちろん建設と言う面でのいろいろな実験をこうした形でしてみた事については素晴らしいことだ。
この実験棟は既存の団地再生に対しての"技術的"検討と言うことで、建築と言うよりは建設の範囲の実験棟のようだった。ただ、改造されたいくつかのタイプの居室はよく出来ていて、試しに少しの間住んでみたいとも思えるようなものだった。しかし、これらに本気で住む人だったら収納が少ないなどと細かいことを言うだろうし、購入を考えるのであれば将来子供が育ったときに部屋数が少ないなどとも言うだろう。プランはどちらかと言えばキッチネット付きホテルかテンポラリー用途のコンドミニアムのようなもので、家を持ちたいと思わず、身の回りの状況が変わったら移動することを厭わない自分のような人間には悪くない部屋だと思う。ただし、家賃が充分に安いのであればだが。
(だが、既にそれ以外の方法をいろいろ知ってしまっている身には光熱費や管理費の心配をしながらこれに10万円以上の家賃を毎月支払って住み続けるのはどうなのかと思えても来る。同じ値段ならどこかのビーチフロントの掃除も光熱費も心配せずに住むホテルに居たいだけ居るのとどちらが良いのかと思ってしまうと言う意味であって、通勤に便利だからここを選んでできれば一生、と言うような感覚ではない。)
技術的検討が主と言うことなので、この実験棟についてデザインがどうのと言うのは間違いだと思われるが、見た目は一見100年前のバウハウスデザインのようだった。すっきりしているが、う~ん....。もう一つはこのモデルハウスが共用廊下が足されている以外どれもその内部にのみ注力しているために、住戸がやはり鉄の扉で個々に閉じられているスタイルに何の変更も加えていない、いや多分検討すらしていないのだ。今の状態で見た目の商品性が上がっても50年後にはやはり孤独死はあるだろうと予測できるし、1F部分の住戸を集会上にコンバージョンしたとしてもそれがどう使われるかは未検討のままである。建築ではなく建設の実験なのであるから現時点では仕方ないのだろうと思う。もちろん建設と言う面でのいろいろな実験をこうした形でしてみた事については素晴らしいことだ。
2009/10/05
Cave-dwellers
Cave-dwellers : 穴倉生活者
日本人は穴蔵に住んでいる。
その穴蔵の中でビクビクと怯えながら生きている。
小穴から外の様子をうかがっている。
小穴とはテレビとかインターネットとかそう言ったものだ。
新聞でも雑誌でも良い。
頑丈な扉で閉ざされたその穴蔵に入れば生きていくために必要な物は全てある。
時々の補給を怠らなければその穴に何年も籠もっていることができる。
誰とも会う必要はないし、誰かの侵入を心配することもほとんど無い。
実際にそうして籠もって生き続けている人も多くいる。
だから穴蔵の内部は完璧である。
その意味では最新の原子力潜水艦の内部空間に近いかもしれない。
これは特別な誰かの事ではない。
引きこもりと言われる得意な行動を信条として生きている人たちだけの事ではない。
日本人ならほとんど誰にでも当てはまる。
我々はいつもビクついて生きている。
他人がどうであるか、社会がどう流れているか、何が流行しているか、みんなはどう思っているか。
そして他人が自分をどう見るか。
流行の服を身につける。流行の物を持つ。誰もが知る大学に入る。誰もが知る会社に入る。資格を取る。目立つ行動や言動を慎む。生活や身だしなみや行動や持ち物や言動など、全てに他人から見てみっともないと思われないかどうか自分自身をチェックする。良いも悪いもプラスもマイナスもポジティブもネガティブもその方向は誰かによって決められていてそこから外れる事のないように気をつける。自分には関係ないと思っていても成功と言うものや理想や上下関係などを意識しているのならば、そこから逃れることはできない。そうして一生ビクビクしながら生きていかなければならない。
そんな生き方にとって現在の日本の住まいは最適だ。穴蔵は最適だ。たくさんの収納、広いキッチン、便利な家電製品、快適な家具、そうした内向きの完璧さが丁度良いのである。
さて、それが未来においてもこのままで良いだろうか。怯えながら暮らしているうちに世界はどんどん変化して小穴から見える世界はどんどん先に行ってしまうだろう。そんなつまらない事に気を取られている暇は無いのではないか。他人の評価にビクついている暇があったら何か自分でする事があるのではないのか。生き方が先か、建築が先か、それはどちらでもかまわないが何か先に進める必要はあるだろうと思う。穴蔵を出て光の当たる場所に出るべきなのだろうと思う。
日本人は穴蔵に住んでいる。
その穴蔵の中でビクビクと怯えながら生きている。
小穴から外の様子をうかがっている。
小穴とはテレビとかインターネットとかそう言ったものだ。
新聞でも雑誌でも良い。
頑丈な扉で閉ざされたその穴蔵に入れば生きていくために必要な物は全てある。
時々の補給を怠らなければその穴に何年も籠もっていることができる。
誰とも会う必要はないし、誰かの侵入を心配することもほとんど無い。
実際にそうして籠もって生き続けている人も多くいる。
だから穴蔵の内部は完璧である。
その意味では最新の原子力潜水艦の内部空間に近いかもしれない。
これは特別な誰かの事ではない。
引きこもりと言われる得意な行動を信条として生きている人たちだけの事ではない。
日本人ならほとんど誰にでも当てはまる。
我々はいつもビクついて生きている。
他人がどうであるか、社会がどう流れているか、何が流行しているか、みんなはどう思っているか。
そして他人が自分をどう見るか。
流行の服を身につける。流行の物を持つ。誰もが知る大学に入る。誰もが知る会社に入る。資格を取る。目立つ行動や言動を慎む。生活や身だしなみや行動や持ち物や言動など、全てに他人から見てみっともないと思われないかどうか自分自身をチェックする。良いも悪いもプラスもマイナスもポジティブもネガティブもその方向は誰かによって決められていてそこから外れる事のないように気をつける。自分には関係ないと思っていても成功と言うものや理想や上下関係などを意識しているのならば、そこから逃れることはできない。そうして一生ビクビクしながら生きていかなければならない。
そんな生き方にとって現在の日本の住まいは最適だ。穴蔵は最適だ。たくさんの収納、広いキッチン、便利な家電製品、快適な家具、そうした内向きの完璧さが丁度良いのである。
さて、それが未来においてもこのままで良いだろうか。怯えながら暮らしているうちに世界はどんどん変化して小穴から見える世界はどんどん先に行ってしまうだろう。そんなつまらない事に気を取られている暇は無いのではないか。他人の評価にビクついている暇があったら何か自分でする事があるのではないのか。生き方が先か、建築が先か、それはどちらでもかまわないが何か先に進める必要はあるだろうと思う。穴蔵を出て光の当たる場所に出るべきなのだろうと思う。
2009/09/08
Y150
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