建築の勉強をする合間にここに書いたり、別のブログを書いたり、他人のmixi日記を読んだりいろいろな事をやっている。
そんな事している暇があったら肝心のレポートを仕上るだけに集中した方が良いと言うだろうか。レポートも試験も素早く終わらせてしまった方が効率が良い。終わらせたら別のことができるだろうと。
大学受験の勉強まではそれは正解だったと思う。(20年も前の事)
なぜなら小学校の勉強も中学校でもそして高校であっても、問題の答えはたった一つだったから。そう言うやりかた、考え方が今でも普通だと広く考えられているのだから、そう言われるのも最もだと思う。
人間の頭の中は実際、そう単純ではない。たくさんの事を平行して考えたり吟味したりアイデアを思い浮かべて検討しているのだと思う。その中から一見関係ないと思われるようなある物と別の物を結びつけてみて「はっ!」と新しい物が産まれることが多いのだと思う。もちろんボツになるものも多い。
レポートの下書きを書く時にはワープロを使う。ただ、これは最終段階になった時であって、単に「まとめる」作業なのである。そして文字数カウントが便利なだけなためだ。その前段階は思考は四方八方に分散して立体的である。これをワープロのように上から下に、つまり結論だけを求めて考えていくことは意味がないし、現実的ではない。ワープロ思考では、つまり手っ取り早い結論だけを求めるのではダメなのだ。
そこに至るプロセスには寄り道に思えるような副産物がたくさん出てくるもので、結果的に必要なさそうなものでもそれは必要であって、結論にも厚みを与えてくれるものになる(はずだ)。
優先順位をつけて計画通りにただこなすのならそれは流れ作業である。
日本は子供(将来大人になる一人の人間)の学力に流れ作業のような、予め用意されたたった一つの答えを出す能力を長い間望んでいた。現在も変わってはいないだろう。そんなことのために今勉強するとしたら、それは機械にプログラミングして資料でも何でも検索させて自動で羅列して自動でA4にプリントさせるべきなのだと思う。
今まで生きてきて、そんなにうまく予定通りに人生が運んだことはほとんど経験していない。土台、計画通りなど無理なのだし、そんな人生楽しくも何ともないだろう。
人間はゲロゲロとたくさんの副産物を吐き出しながらうろうろと歩き回っているものじゃないか。余計に吐き出された副産物が不要で、それが効率的でないと言うなら、人間はコンピュータや生産のための機械に憧れていると言うことか。
そんな事が望みならそれはできない事じゃない。(日本なら)そうする選択肢はいくらでもあるはずだ。ただ、「したいか?」と聞かれたらほとんどの人がまっぴらごめんと答えるだろう。(「でも現実にはね」?)
少なくともこうしてレポートを書いている間は....したくないんだ。
2 件のコメント:
近道や早道が正解だと信じてきたのに、ある時、道草や遠回りも良いんじゃないかと感じ出しました。
社会に出ると、白と黒で割り切れないことがあるし、白を黒と言わなければならない場面にも遭遇します。
そんな時、世間一般の常識ではなく、自分のアイデンティティーを確立しとかないと辛いかなぁと感じる今日この頃です。
そうですか、、しばらくブログの更新がされないのですね。レポートを書くときに、よく参考にさせて貰っていたのですが、4年次のレポートは自力でやらなきゃだめかな。。
私も高校時代や留学時代に哲学的な事を考えた事が有ります。しかし所詮人間は自分勝手で有り、自己満足の為に行動したり考えたりしてしまう気がします。人間の根本はやはり動物なのでしょうね。しかし人間は色々な、いい訳を考え出して、私の今やっている事は文化的であり、人間的で頭脳的である、と思い込むまたは信じるのではないかと思います。人は欲望の下で動いていると言えるでしょう。
ぶっちゃけ、人間の道を行くならば人の社会で生きていく術を勉強しなければ、変人扱いされたり、社会不適合者と見なされてしまいます。常に道義と自己利益を天秤にかけて判断しながら生きて行くのが人間社会だと言えます。日本人は出身大学に卒業してもかなりこだわる人が多数ですが、大学までの教育の役割は只の道標であり、企業もその中から頭の柔軟な人材を選ぶというだけの役割だと思います。社会で役立つのは卒業後の自分が進んだ道に適合した勉強だと思います。
私の上司が以前、日本は人を育てる事に優れていた社会が有った、と言っていたのですが、確かに人間性、考え方、を含めて総合的に人を育てる社会が有った気がします。
個人の権利の拡大によって、わがままが許され、やり難くなってしまった気がします。
なーんて、何書いているか自分でも判らなくなりつつ有るのでここらで止めときます。
私は建築関連の資格をなるべく目指す様にしてます。(電気主任技術者や高圧ガス等)これは社会的責任の為、その他に趣味で外国語なんかをやって気晴らしにしてます。建築学科の勉強は半分趣味の半分は建築士免許という社会的責任の為、と私は捕らえています。
建築はとにかく視野を広げてくれる学問なので好きですね。
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