2012/05/21

他人のシナリオ

先日、久しぶりにKLにある建築書や美術書を専門に扱っている書店に行ってみた。世界中の作品集もあいり、日本のものもあり。ページをめるくだけでなかなか楽しめる。

ふっ、と思う。
"まとまりの良い"と思える作品と言うのはある。それだけでけっこう完璧に出来ている。商業建築物などにそれは多いけれども、そのまとまりの良さに、逆に違和感が感じられる。内部も外部もああしてこうして、計画に漏れが無い。よくわかる。

でも違和感がある。

こうした施設にはあれとこれがあって、こちらから来る人はここでこうしてあそこでああする。だからここにこれを置いて、と。ふーん。そうかも知れない。正しい。こう言う人とこう言う人を結び付けるには中央にこんな感じの場所を設ける。それも良いかもしれない。街の問題を解決するにはここにこんな施設を作ってこう使ってもらう。なるほど。

心の底に小さな声が。
"おまえにそこまでコントロールされる筋合いはない"。
それで全てが無意味に感じられるようになってしまう。


昨日手帳に書いたスケジュール。どの位その通りにできたか? どうやったって100%できた日などそう多くは無い。自分の事でさへそうなのに他人の行動まで管理することはなかなかできるものではない。遊園地の乗り物なら乗せてシートベルトを締めさせればその通り行くだろうが普通の生活ではそれは無い。

そんな作品、造形の問題としては良いかもしれないが、どうもあまりにまとまりの良い作品を見てしまうと、出来が良ければ良いほどに物足りなさを覚えてしまう。 もっと言えば、他人のシナリオを勝手に考え過ぎる事に対する嫌悪感かもしれない。

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