2009/10/17

ひばりが丘団地ストック再生実証試験棟を見学

友人のS氏の手配でひばりが丘団地の実験棟を見学させていただいた。

この実験棟は既存の団地再生に対しての"技術的"検討と言うことで、建築と言うよりは建設の範囲の実験棟のようだった。ただ、改造されたいくつかのタイプの居室はよく出来ていて、試しに少しの間住んでみたいとも思えるようなものだった。しかし、これらに本気で住む人だったら収納が少ないなどと細かいことを言うだろうし、購入を考えるのであれば将来子供が育ったときに部屋数が少ないなどとも言うだろう。プランはどちらかと言えばキッチネット付きホテルかテンポラリー用途のコンドミニアムのようなもので、家を持ちたいと思わず、身の回りの状況が変わったら移動することを厭わない自分のような人間には悪くない部屋だと思う。ただし、家賃が充分に安いのであればだが。

(だが、既にそれ以外の方法をいろいろ知ってしまっている身には光熱費や管理費の心配をしながらこれに10万円以上の家賃を毎月支払って住み続けるのはどうなのかと思えても来る。同じ値段ならどこかのビーチフロントの掃除も光熱費も心配せずに住むホテルに居たいだけ居るのとどちらが良いのかと思ってしまうと言う意味であって、通勤に便利だからここを選んでできれば一生、と言うような感覚ではない。)

技術的検討が主と言うことなので、この実験棟についてデザインがどうのと言うのは間違いだと思われるが、見た目は一見100年前のバウハウスデザインのようだった。すっきりしているが、う~ん....。もう一つはこのモデルハウスが共用廊下が足されている以外どれもその内部にのみ注力しているために、住戸がやはり鉄の扉で個々に閉じられているスタイルに何の変更も加えていない、いや多分検討すらしていないのだ。今の状態で見た目の商品性が上がっても50年後にはやはり孤独死はあるだろうと予測できるし、1F部分の住戸を集会上にコンバージョンしたとしてもそれがどう使われるかは未検討のままである。建築ではなく建設の実験なのであるから現時点では仕方ないのだろうと思う。もちろん建設と言う面でのいろいろな実験をこうした形でしてみた事については素晴らしいことだ。

2009/10/05

Cave-dwellers

Cave-dwellers : 穴倉生活者

日本人は穴蔵に住んでいる。

その穴蔵の中でビクビクと怯えながら生きている。
小穴から外の様子をうかがっている。
小穴とはテレビとかインターネットとかそう言ったものだ。
新聞でも雑誌でも良い。

頑丈な扉で閉ざされたその穴蔵に入れば生きていくために必要な物は全てある。
時々の補給を怠らなければその穴に何年も籠もっていることができる。
誰とも会う必要はないし、誰かの侵入を心配することもほとんど無い。
実際にそうして籠もって生き続けている人も多くいる。
だから穴蔵の内部は完璧である。
その意味では最新の原子力潜水艦の内部空間に近いかもしれない。


これは特別な誰かの事ではない。
引きこもりと言われる得意な行動を信条として生きている人たちだけの事ではない。
日本人ならほとんど誰にでも当てはまる。

我々はいつもビクついて生きている。
他人がどうであるか、社会がどう流れているか、何が流行しているか、みんなはどう思っているか。
そして他人が自分をどう見るか。

流行の服を身につける。流行の物を持つ。誰もが知る大学に入る。誰もが知る会社に入る。資格を取る。目立つ行動や言動を慎む。生活や身だしなみや行動や持ち物や言動など、全てに他人から見てみっともないと思われないかどうか自分自身をチェックする。良いも悪いもプラスもマイナスもポジティブもネガティブもその方向は誰かによって決められていてそこから外れる事のないように気をつける。自分には関係ないと思っていても成功と言うものや理想や上下関係などを意識しているのならば、そこから逃れることはできない。そうして一生ビクビクしながら生きていかなければならない。


そんな生き方にとって現在の日本の住まいは最適だ。穴蔵は最適だ。たくさんの収納、広いキッチン、便利な家電製品、快適な家具、そうした内向きの完璧さが丁度良いのである。


さて、それが未来においてもこのままで良いだろうか。怯えながら暮らしているうちに世界はどんどん変化して小穴から見える世界はどんどん先に行ってしまうだろう。そんなつまらない事に気を取られている暇は無いのではないか。他人の評価にビクついている暇があったら何か自分でする事があるのではないのか。生き方が先か、建築が先か、それはどちらでもかまわないが何か先に進める必要はあるだろうと思う。穴蔵を出て光の当たる場所に出るべきなのだろうと思う。