2013/05/13

かたち

最近、自分自身について気付いた事がある。

建物を見て、立方体、直方体、球、そうした完全な形またはそれをモチーフにした物に、"閉じた"と言う感覚を持つ。実際にそうした建物はとても多い。どこにでもあるマンション、デパート、役所のビル、駅など。

有名建築家の安藤忠雄氏の作品などはほとんどその類に見える。どうも、その表から見た面とその裏側の世界、それを面が区切っていて息苦しいように感じている。これは誰もがそう、と言う事ではなくて自分自身の主観の問題なのだ。

安藤作品のように面が平らでなくともそう感じるものもある。蓮の葉の上の水滴のようにその面の外側との接触を極力少なく保とうとする建物。敷地にポンと置いてさて、完成と言うようなもの、世の中にはそんなものがたくさんある。

たいへんに息苦しいのである。


少し前に、Bukit Bintangのモノレール駅が改装工事中であった。エスカレーターの乗降口が上部からヌルッと垂れてきていて、その周囲に細い鉄パイプの足場が設置してあるのが見えた。良いなと思った。

後で絵を描いてみた。中央にあるマス、それを取り囲む細い線。気にいるはずがどうもそうはならない。よく考えてわかったのは、エスカレーターの乗降口はダラリとして全く閉じてはいない。閉じていない形のまま、マスだった。自分で描いたのはそこが閉じた形で円に近いものだった。

それが息苦しくさせる原因だと言うことに思い当たった。なぜ、今までそんな事に気付かなかったのか、自分の事なのに不思議だ。そんなものなのか?